アーサナに見られる風変わりな姿勢の原理、また、それを行なうときになぜ力を抜くようにさそいかが説明できます。さらに、いったん身体を固定して姿勢を保持したら、なぜすべての集中さそこから無辺なものへと向けなければならないか、またそれをどう行なえばよいのか、ということについても説明が可能です。努力することは上位中枢の活動です。いま下位中枢が自由に活動できるようにするためには、その努力こそやめなければなりません。努力が取り除かれても、普通でない姿勢をとっているという意識が残っているなら、それは確実に上位中枢からの干渉を受けています。ですからバトンジャリは、完成した姿勢に心を向けないで、何か他の場所に心を向け。まり「心さ無辺なものに合一させる」ようにと説いているのです。
しかし、なぜ他のことでなく「無辺なもの」でなければならないのか、と疑問に思う人がいることでしょう。その理由は常。こしな思いも感情的な影響をもたらしやすく、すぐに上位中枢から下位中枢に影響を与えてしまうからです。第二に、「心を無辺なものに合一させる」こと自体がリラックスするのに役立つからです。この過程は「大洋/大湖の瞑想」とも呼ばれます。そうしている間、自分はリラックスして広い海の表面に浮かんでいる、いや、自分は大洋のさざなみ、大洋そのものになって波打っている、と感じるからです。これが神秘主義の文献でいわれている「大洋感覚」です。このような瞑想を試みてみるなら、それがどれほどリラックスをもたらしてくれるかがわかります。
以上のことから、次のような結論を導き出すことができます。
1アーサナは本来、「身体の震え」すなわち身体の緊張リズムの障害を克服し、心身全体の働きに調和
を取り戻させようとするものである。
2アーサナはたんなるポーズではなく、ある一定の姿勢パターンであり、系統発生的にも個体発生的にも下位の古い段階に属しているため、それ自体はむしろ奇妙な形であり「異常」に見える場合もある。アーサナの多くには、動物や鳥、は虫類などの名前がついていて、それらの形をまねしている。またその他に、胎児、幼児などの初期の発達段階をあらわすアーサナもある。
3アーサナは、統合をつかさどる下位中枢ができるだけ自由に働くようにするために行なわれる。したがって、効果の点からみると、アーサナの姿勢こそが非常に重要である。アーサナは、下位中枢の働きによって身体に本来の正常なバランスを取り戻させるという目的のために編みだされたものである。
4この目的のためには、最小限の努力で、すなわちリラックスして、完成した姿勢を維持することが必要である。これを可能にする最善の方法は、姿勢に心を向けず、何か他のもの、なるべくなら、パクンジャリが指摘するタうに、無辺なものに思いを向けるようにすることである。もうひとつの方分は。「大洋感覚」をもつかうにすることである。その当然の結果として、心身がリラックスするばかりでなく、容易に「私」という表面的な人格を超えることができるようになる。
また、アーサナを行なう場合は、いわゆる「プラーナへの精神集中」を行なう必要があるとする流派もあります。どのようにするかというと、鼻の中を流れる息の出入りを鼻の中の一部分で感じとる。のです。初めはおもに鼻先で感じるようにします。息を吸うときは冷たく、息を吐くときは温かく感じます。このとき。。呼ルを少し深くリズミカルにすると、いっそう確実にリラックスでき、またアーサナによって原初的な緊張性インパルスが自由に働きだすのです。
アーサナをっ正確に行なうことは、最初のうちはむずかしいかもしれません。そのような場合、無理に曲げたり伸ばしたりしないようにしてください。できるだけ気持ちよくリラックスした状態で近づけるようにしていきましょう。
そうすれば身体はゆっくりと気持ちよく曲がってきます。このとき痛みを感じても、それは心地よい。
いっても、それは心地よいものであることと思います。しかし、心地よい清いであっても、そんなことは忘れて、ちょうど普通に座ったり、立ったり、リラックスして読こい。ときのように、できるだけ楽にアーサナを行なってください。たいていの場合、人は自分がこのこっているのか、あるいは立っているのか忘れているものですが、アーサナの姿勢を保つときもそうあるべきです。この「忘却」を達成するコツは前段に述べましたが、それは否定的なものではなく、心身に最大限のくつろぎを与える非常に効果的なものなのです。
それほど完璧にアーサナを行なわなくても、よい結果がもたらされるため、ヨガは受け入れられてきました。不完全に行なっても大変有益であるなら、正しい理解と方法で行なえば、それはどんなにか有益なことでしょう。
何を始める場合でも、それに何を期待できるのかは知っておくべきです。いやそれどころか、その効果が実際どんな仕組で起きるのか、希望する効果を引き出すためにいかにその仕組を正しく働かせるべきかも理解しておく必要があります。知識や準備なしで物事を始めるなら、多くの場合、その結果は成り行きまかせにしかなりません。たいていは思いがけない危険に直面することになるでしょう。
判断の誤りやまちがった期待のあるところには必ず、危険や失望が待ち受けています。たとえば、般の人だけにかぎらず、医者からさえも、アーサナを練習している際に捻挫や結合組織炎、軽い骨折が起こった、という苦情を聞くことがあります。ノウハウを知らなかったばかりに、なんら恩恵をこうむることなく、不必要な心配やトラブルに陥り、そのためにまた貴重なお金や時間を費やしてしまうことになります。こうして、一部の向こう見ずな人々の度の過ぎた情熱や無分別のおかげで、ヨーが全体が非難を受けることになってしまうのです。