『ヨガ・スートラ』に記された太古の病気観

ヨガの大元の思想観 心身相関性とホメオスタシス

パタンジャリの『ヨガ・スートラ』は、ヨガの思想が体系的に述べられた最古の文献(成立は二~四世紀頃)であり、ヨガの根本教典でもあります。それを丹念に読むなら、心と身体はひとつのものとして扱われていることがわかります。だからこそ、ヨガの高度な精神的行法に入る前段階として、アーサナ(ヨガのポーズ)や調気法のような「身体的」行法が含まれているのです。

「ヨガ・スートラ』に述べられているように、こうした行法はすべて「サマーディ(三味)の境地に入る」ための第一段階として、心身活動に調和をもたらすことを目指しています。すなわち、これらの行法は精神生理学的なメカニズムを安定させ、その結果、内外からのさまざまな刺激に対して心身の調和が容易にくずれないようになります。このように、ヨガは心と身体をまったく別物とみるのではなく、両者間の緊密な相関性を認めるものなのです。

心身の動きに関して、ヨガは、そこにはホメオスタシス(恒常性)があると考えます(ホメオスタンスとは、心身が調和して働くように、内外からの一般的な刺激に対して、体温などのさまざまな生体機能を調節し、血糖値などの体液や組織の化学的組成を一定に保つ働きです)。すなわち、どんな人でも生まれつき内外の環境に対する適応力をもっているということです。

とはいえ、いくら調和を保つ働きが心身にあるといっても、内外のさまざまな刺激(物理的、化学的、電気的、生物的、心理的な刺激)は心身に何らかの障害をもたらします。この障害がどのくらい続くかは、刺激の強さにもよります。また、ホメオスタシスを保つ心身の能力にも左右されます。したがって、「方法」としてのヨガがめざしているのは、障害を引き起こす原因に直面して不調和におちいった心身を、すみやかに調和へと回復させる方法を編み出すことなのです。

ヨガの見地から見る病気とは

『ヨガ・スートラ』には、「サマーディに対する障害とは、1病気、2無気力、3疑い(ためらい、決心しないこと)、4不注意・無思慮、5無精、6執念(ものごとに対して欲望の強いこと)、7妄想(真理に反する主義、主張、見解)、8サマーディの境地に入りえない精神状態、9サマーティの境地に入っても長くとどまりえない精神状態など、心の散動状態のすべてをいう」とあります。

病気とは心身の調和を乱す障害だと考えていいでしょう。先に述べたように、「ヨガ」という語には、調和すなわちサマーディという意味もあります。それに対し病気とは、それと対極にある状態、すなわち心身の統一がくずれた状態です。病気は人を不安で散漫な気持ちにさせます。だからこそ、病気は障害なのです。

急性疾患の場合

急に発病し進行する急性疾患は、外部からの攻撃的な侵入者に身体が適切に対応できていないことを示していますが、それはまた、身体が障害をもたらす要素を根絶したり無力化しようと首尾よく「格闘」を続けていることのあらわれでもあります。

このように急性疾患は一時的な障害なので、ヨガでは、身体に任せておくほうがよいと考えます。そうすれば身体はみずから対処できるのです。私たちがせいせいできるのは、身体にそれ以上の負担をかけないようにして、身体の抵抗力を高めることぐらいです。

この点で、ヨガは現代の自然療法と意見が一致しています。しかしまた、治療法が確かにわかっており、なおかつ心身に害を与えないなら、病因を絶つために一定の形に頼ることもヨガは認めています。

たとえば、とげがちくりと刺さって心身の「平静」を乱したなら、それを放っておくよりも取り除くべきでしょう。同様に、障害の原因が正確にわかり、また、身体を長期間そこなわずにその障害を根絶する方法がわかっている場合には、それに応じた療法を適用してちゃんと治療すべきです。こうした治療法にヨガは反対しているわけではありません。

実際、ヨガ行者の多くは急性疾患に対して薬草やアーユルヴェーダの療法を用いていますし、万が一のときに役立つよう、そうした知識や薬草を豊富に蓄えてもいます。

慢性疾患の場合

しかし、症状がさほど激しくなく経過が長引くような亜急性疾患や慢性疾患の場合には、話はちがってきます。それは身体が病気との戦いに敗れ、適切な機能を失っている状態です。慢性疾患は私たちの適応力がどこかおかしくなっていることを示しているのです。ヨガによるとこれはおもに、1血液やリンパ液の循環が悪く、部分的に慢性的なうっ血や老廃物の停滞が起こり、身体全体に有毒な影響がおよぶこと、2《神経、筋肉》反応、《神経腺》反応の不調、によってもたらされます。

このふたつ、すなわち慢性的うっ血と、《神経-筋肉―腺》反応の不調とは互いに影響しあっています。血管運動の調節障害で血管の拡張・収縮リズムの調整がうまくいかなくなると、全身あるいは局部の循環障害が生じてきます。すると神経、筋肉、脈に血液がじゅうぶん供給されず、それらはちゃへと機能しなくなります。一方、神経や筋肉などがじゅうぶんに機能しないと、循環障害はさらに促進されます、このような悪循環が続くことから、1と2は互いに関係していることがわかります。

ですから、この過程を正常な状態にするには、この二つの障害を引き起こす原因をつきとめなければなりません。原因としては、姿勢や日常生活などにおける悪習慣、不規則で偏りのある食生活、心の葛種はどこにあげられ、これらが単独または複合して障害を引き起こすと考えられます。

最善の方法はこれらすべてを正すことです。人間を「総合的」に見るヨガにしたがえば、運動療法、食事の改善、精神状態の改善をそれぞれ単独で行なっても効きめは少なく、より完全で合理的な治療にはなりません。

ヨガにおける完全な回復とは

急性疾患の場合でも、一見回復したように見えても、心身に何らかの影響は残るものです。病気がもたらす身体の平衡異常は、たいてい回復に時間がかかるものであり、ときには完全な回復が不可能になる場合さえあります。

ですから、患者が回復に向かっているとき、医師はただ運を天に任せて回復を待つのではなく、病気の性質や損傷に応じて適切なリハビリテーションを助言しなくてはなりません。こうして病気の痕跡から完全に解放されたとき、初めてその患者は「治った」といえるのです。

残念ながら、息つくひまもなく日々の仕事に追われる現代では、このようなリハビリの手段が取り入れられることはめったにありません。その結果、見かけは元気に動きまわっている人でも、生活上の多くのストレスを解消できないで悩んでいます。

そのために現代人は、急性疾患や、ときには慢性疾患にかかりやすくなっています。自分はぜったい病気にはならないと断言できるような人はほとんどいないでしょう。だからこそヨガは、「積極的な」健康と「すぐ元気を回復できる」状態を保つために、少なくともいくつかの行法を実践するよう勧めているのです。