現代医学に欠けているものをもたらすヨガの本質

現代医学とヨガ

病気の治療に関しては、二通りの考え方があります。ひとつは、病因を調べて、取り除き、そして身体がみずから回復するのを待つ方法です。もうひとつは、身体自身が病因に打ち勝って、それ自身の力で治癒するのを補助する方法です。

身体には特定の免疫性を高める力と、病因の攻撃に対する抵抗力がそなわっています。発病の原因となる細菌やウイルスなどが発見されて以来、西洋医学では感染症などの急性疾患の治療に際して、まず抗生物質などの薬が集中して投与されます。

しかし、実際のところ、その次の段階、すなわち予後については一般的にあまり注意が払われていないようです。治療を施されたあと、患者は各自の運命にゆだねられてしまい、せいぜいビタミン剤か強壮剤が勧められる程度です。

これでは、内臓の機能が弱まっている身体は、なおも病気の害にさらされることになります。もちろん、急性疾患が治ったあともすべての患者を治療すべきである、という新しい考え方も徐々に医学界で普及しはじめており、とりわけ物理療法学の分野で受け入れられるようになってきています。

にもかかわらず、現在問題になっているのは、物理療法学は機能障害の患者のリハビリよりも、身体障害、とくに運動障害のリハビリの問題で手いっぱいであることです。その結果、急性発作や他の不調が繰り返されることになるのです。

病気に対するヨガの姿勢は他のあらゆることに対しても同様ですが個々の病因の撲滅に時間を浪費するよりも、むしろ自分自身を強化しなければならないというものです。たとえば、いばらだらけの森のことを考えてみてください。そのような森を通り抜けるとき、いばらの棘をひとつずつ取り除いてから前へ進むなんて、ばかげています。丈夫な靴をはいて足を保護するほうが、よっぽど簡単で賢明なことでしょう。

「靴をはくなら、大地全体がまるで柔らかい革でおおわれているようなものだ」(ヨガ・ヴァーシシュタ)という言葉があります。ヨガという言葉には「鎧をまとった」「じゅうぶん心がまえができた」という意味もあります。

ヨガは個々の病因を攻撃したり根絶するよりも、生まれつき身体にそなわる防衛機能を強化することを大いに強調しているのです。

病気の治療においても、恒常的なバランスがとれるよう、心身に内在する力を発揮させることに主眼が置かれています。その際、とくにヨガが注目するのは、身体にもともとそなわった種々の排泄作用や再調整作用、すなわち心身の適応力や調整力を発達させることです。

このような方法は、とりわけハタ・ヨガでは「ナーディ・シュッディ」として知られ、生気を全身にめぐらす微細な脈管を浄化するためのものです。ヨガでは、ナーディとはまず第一に神経を意味しますが、それだけでなく体内の管状のものすべてをも意味します。たとえば「シャクティナーディ」は大腸を指します。「ナーディ・シュッディ」は、心身の調和を乱す要素である不純物を根絶するので「マラ・シュッディ」とも呼ばれます。ちなみに「シュッディ」とは「浄化」を意味する言葉です。

ヨガがもたらす健康とは

ヨガの目的のひとつは完全な健康と衛生です。完全な健康とは、たんに病気にかかっていないというだけでなく、全般的な抵抗力をそなえ、特定の病因に対して容易に免疫力をつけることができ、喜びと活気に満ちている幸福な状態を意味します。それは、どうにかこうにか働ける能力などではなく、人を無気力で怠惰にさせない能力を意味します。

ヨガでは無気力と怠惰は障害であると考えられています。

これらは身体ないし精神のレベルにおける不健康、不調和の徴候であり、真剣に対処する必要があります。残念ながら、完全な健康に対するこうした厳密な考え方は、現代医学ではめったにみられません。

今日の衛生学および衛生法がもっぱら関心を抱いているのは、殺虫剤などによる病気の媒体の撲滅、大気や水の汚染防止、食品衛生といった公衆衛生問題、それにワクチン・血清などによる免疫力の強化などです。

こうした事柄はいずれも、公衆衛生の点からみれば、もちろん非常に重要な問題です。しかし、現代医学の善意に対して失礼になるかもしれませんが、それらはみな「マイナスの方法」ともいえるでしょう。なぜなら、ある病気が蔓延するのを防ぐ一方で、個人をより虚弱化して自分自身の脚で立つことを不可能にさせ、その人本来の力によって病気と積極的に戦えないようにもさせているからです。

現代人はもって生まれた力を徐々に奪われ、自分自身の戦いに対処できなくなり、障害物から自分を守るためにますます外的な方法に頼らざるをえなくなってしまっています。その結果、身体は障害物に出会うことをまったく「学んで」おらず、不意打ちを食わされて初めて、それと戦う力がないことに気づくのです。

使われなくなったものはやがて委縮し、ついには消えてしまうのが自然の法則です。人間はいっそうの「快適さ」を求めることで、本来のたくましい抵抗力や祖先のもっていた健康を次第に失っているのです。

人間と細菌とのあいだで繰り広げられている「大戦」では、これまで人間が勝利を収めてきましたが、今日、人間側が負けているようにみえます。人間が新たに作り出したり発見した化学薬品に対して細菌は以前より強くなり、高い耐性をもった種を生みだしています。そのため、数年ごとに治療法を変えなくてはならないほどです。

この戦いの勝者を決めるのはまだ時期尚早でしょう。これまでのところは、新兵器をもたらすという点で人間のほうが明らかに優勢です。しかし、優勢が続く一方で、人間は前記の理由で内在する抵抗力を失いつつあります。それに加えて、今日の工業の発展や社会構造の急速な変化などによって、現代人は昔の人よりいっそう複雑な状況に置かれているにもかかわらず、それに対する準備はできていないように思われます。

公衆衛生の発展のおかげで伝染病は減少していますが、糖尿病などの代謝病や心身症は増加の一途をたどっています。代謝病や心身症は心身の調節能力の乱れによる慢性的疾患です。現代医学はこれらの疾患の治療に、ホルモンやビタミンを投与する補充療法や、精神安定剤などの外的な助けを借りています。しかし、もう一方の側からアプローチしていくこともますます重要になっています。

それはすなわち、人間の内部組織を新しい状態や環境に対処できるよう訓練しなければならないということです。いいかえれば、人間は本来の適応力や順応力をよみがえらせる訓練をする必要があるということです。

公衆衛生の価値を非難しているのではなく、その成果の別の面を示したにすぎません。いまや衛生とは、外的環境から有害な物質を根絶する方法であるとともに、たんに病気にかかっていないだけでなく、完全な健康を享受できるよう、人間の内的環境に固有の適応力や順応力をもたらし、その範囲を広げる方法でなければなりません。

ヨガはとくにこの点を強調するものです。