調気法による効果とは?

調気法はヨガの中でも非常に重要な行法です。そういうことから、ヨガの伝統的なテキストによると、多くの権威ある人々は、
心身を浄化するのに調気法以外の行法は必要ないとさえ感じていたようです。「一部の師たちは、調気法によって初めて、すべての不純物は根絶できると主張し、他の行去は必要ないという」。この意味するところは、前に述べたような内受容性緊張反射の視点から考えるとはっきり理解できます。肺胞の表面は非常に広い内受容性の領域です。肺胞は、細気管支、気管支、気管、喉頭および鼻とともに、ホメオスタシスの維持に必須の、流動的な「姿勢反応系」を獲得するのに最高の媒体です。呼吸メカニズムを介して作用する内受容性緊張反射がどのようにこの姿勢反応系の流動性を維持しているのかをはっきり理解したとき、初めてヨガにおける調気法の重要性も理解できるでしょう。呼吸系の神経支配は明らかに高次の神経活動をともなっています。呼吸を制御する領域は延髄や橋だけでなく、視床下部より上位の大脳辺縁系もそれに影響をおよぼすことがわかっています。このように、神経解剖学的立場からみても、呼吸を制御することによって自律的な脳脊髄インパルス(いわゆる随意・不随意の神経メカニズム)を統合できるようになる可能性は大いにあるのです。
また呼吸によって、動物のさまざまな行動パターンもだいたいわかります。呼吸が行動や行動障害と関係していることは、今日の科学界でますます認識されるようになっています。精神的努力やさまざまな感情ないし行動様式によって呼吸がどのように変化するか、数多くの研究が行なわれており、たくさんの実験データが集められてきました。こうした関連でいえば、従来、肺結核や喘息のような疾患は人格的な葛藤に関係しているとされていましたが、今日そのような葛藤がこれらの疾患の発病や進行の重要な因子になっていると推測されているのは興味深いことです。
しかし残念なことに、心因性因子の呼吸におよぼす影響については慎重な観察・実験・分析がなされているのに対して、その逆の過程、とくに調気法におけるコントロールされた呼吸が心理面におよぼす影響については、それほどの注意をもって研究されてきませんでした。呼吸の効果について欧米で行なわれた数少ない研究によると、力強く深呼吸するブリージング・エクササイズを行なったあと、身体のさまざまな臓器に生化学的な変化が起きることが観察されています。しかし呼吸の内受容性緊張反射については、先に挙げたバラック博士の研究を除いてはまだ研究がなされていません。調気法の呼吸のメカニズムや効果は通常の呼吸とは大変異なりますが、欧米ではそれほど認識されていないために、まったく議論されていないのです。私たちの研究所が行なった調気法についての実験によると、これまでのところはまだその生化学的な面にかぎられていますが、力強い呼吸の生化学的効果は調気法とは異なることが確認されました。調気法が人間の内的および外的行動に与える有益な影響に関してヨガがとくに主張していることは、まだ科学的な研究の途上にあるのです。「古代のヨガ行者は、調気法は非常に大きな効果をもたらすと主張しています。調気法は「脈管の浄化」(ナーディ・シュッディ)をもたらすだけでなく、脳を介してまさにインパルスの通り道を変化させ、その結果、つねに心の安定をもたらすと述べているのです。「調気法を規定どおりに修練した結果、脈管の組織が清掃されたなら、プラーナ(生気)は容易にスシュムナー(脊髄中にある主要な微細次元の脈管)の入口を開いて、その中に入る。生気が中央にあるスシュムナーを流れたとき、心は不動になる」。
普通、これらのインパルスは「側頭領域」を通っており、それによって自己中心的になり心の不安定さが高まるのです。逆にインパルスが「中心領威」をめぐると、心の平安がもたらされます。その結果、心のエネルギーは容易にコントロールされ、より高い目的へと方向づけられるようになります。しかし、この中央の脈管(スシュムナー)はふだんは「粘液質」によってふさがれています。そこで、調気法のとくにバストリカーを行なうと、この障書物が取り除かれて脈管が活性化します。「スシュムナーの入口をふさぐ粘液等の障害物を取り除くバストリカーとよばれるクンバカは、とくに修練しなければならない」。いったんこの中央の脈管が開かれると、それは徐々に確実なものになり、その結果心がますます不動になっていきます。
ここで、トゥレーン大学のヒース博士らが近年行なった精神分裂症の研究について述べるのも興味深いことでしょう。博士らは脳には二つの異なった回路があるという前記の話と類似した仮説を立てました。その二つの回路とは、中隔領域をめぐる促進的な回路、2側頭領域を通って作用する抑制的な回路です。この説を展開するためにトゥレーン大学の精神科と神経科で多くの研究が行なわれ、「精神分裂症の研究|||心と脳の関連への多学問領域からのアプローチ」と題する学部論文でその論証が詳細に述べられています。この仮説を証明するため行なわれた実験は、電極を人の大脳皮質下に差し込み、そこにリード線を通して刺激を与え、その人が思ったことを話してもらい、それを記録するというものでした。しかし、彼らによると、この方法はいまだ未完成であまり満足できるものではな
いうことです。しかしこれまでの研究から、彼らが仮定するように、二つの回路が存在する可能性はじゅうぶんにあるといってもよいでしょう。「古代のヨガ行者が示した「中心領域」は正確には中隔領域ではないようです(「中心領域」の活性化とともに、呼吸も停止すると彼らは主張しています)。もっと正確にいうと、古代のヨガ行者は、人間には目に見えない脳の回路が二つあるという仮説を立てています。それは、「中心回路」、「上位回路」です。この後者が活性化されたときに「サマーディ」の境地になると考えられますが、神経解剖学的にこれらの位置を確かめるのは困難です。
しかし、呼吸の神経支配が延髄上の経路を介していることを考慮に入れるなら、調気法が新しいインパルスの回路を活性化するというヨガ行者の経験的な主張はまったく肯定すべきものであるように思われます。しかし、そのためにはトゥレーン大学の科学者グループのように、多くの学問領域からアプローチして慎重な試験や研究を行なう必要があります。その際、ヨガの修行が進んだ人を研究するなら、古代のヨガ行者の主張を合理的に説明するのに大いに役立つでしょう。「パタンジャリは、賢明な調気法は私たちを暗闇にとどめる障害を打ち破ることができると述べています。すなわち調気法は、自己実現に至るドアを開いてくれるのです。「調気法を行じることによって、心の輝きを覆い隠していた煩悩が消え去る」呼吸を調節する中枢は延髄にありますが、呼吸を停止させる中枢は側頭葉の先端近くに位置しています。たとえば、呼吸の停止をもたらす「ケーヴァラ・クンバカ」もこの中枢を介したものと考えられます。側頭葉の先端には自我意識の中枢もあります。
この二つの中枢がたがいに近くに存在していることが、ヨガ行者にとって調気法を重要たらしめているのです。彼らによると、呼吸の停止は自我意識の停止ももたらすということになります。自我意識は物事を対立的に二分するすべての「人間の思考や行動」の「種子」と呼ばれ、神経症的な状態の多くはこれに過度に支配されることによって生じるというのです。