ヨガのアーサナの目的とは?

アーサナとは?

アーサナとは身体の「姿勢、体位」を意味します。ですから、アーサナはけっして運動としてではなく、姿勢としてとらえ、行なわなければなりません。さらに、アーサナの生理的効果は、運動の生理学である運動学の原理にもとづくのではなく、姿勢の特徴である静的緊張反射の原理にもとづいて考えなければなりません。
動くことが根深い習慣になっている私たちは、身体訓練とは激しい活動や運動でなければならないと思い込んでおり、アーサナについてもそうした観点から考えがちです。一般の人だけでなく、ヨガ・セラピーのいわゆる専門家でさえ、アーサナをたんなる筋肉の運動とみなし、動く部分を強調しすぎています。公衆の前でなされるアーサナのデモンストレーションは時間が限られており、また軽は、こと優美さを示しようとするといか、たいてい矢継ぎばろに行われます。
そして、そこにはたいてい、真の「ヨガ」であるならさけられないギクシャクとした動きや、跳んだ
りはいたりするような要素が見受けられます。「なした姿勢とは、神経、筋肉)の活動の停止を意味するのではない、ということは理解しておく必要があります。シェリントンはその著書『神経系の統合的活動』で次のように指摘しています。「動作の遂行についてと同様に、姿勢の維持のためにも、神経品、肉の協調作用がじゅうぶんに要求される」、表面的には、姿勢の維持にともなう緊張反射と平衡反射は、動にともなう相動反射よりも、その収縮の度合いが小さいように見えるかもしれません。しかし、この二つの反射の違いはたいに収縮の度合いの差だけにあるのではありません。それぞれ異なった神経基盤があり、それらは最高の神経器官である脳にまで伸びています。ですから、アーサナのみならず他のすべてのヨガ行法においても、「緊張性―内受容性インバルス」のほうが重視されています。そのほうがエネルギーの節約になるばかりでなく、すでに指摘したように、人間の行動に対して精神生理学的に非常に深い景響を与えるからです。しかし、そうした効果を得るには、ちゃんとした方法でアーサナを行なう必要があります。ここで、この問題についての二人の先達、すなわちパタンジャリとその注釈者であるヴィヤーサをやや詳しく引用してみましょう。パタンジャリは、彼独特の簡潔ながら説得力のある仕方で、三つの短いスートラ(経文)にアーサナの原理を述べています。すなわちアーサナの目的方法、効果を次のように示しているのです。

  • 坐り方は、安定した快適なものでなければならない。
  • 安定した快適な座り方をするには、緊張をゆるめ、心を無辺なものに合一させなければない
  • そのとき、行者はもはや対立する状況に悩まされることはない。

 

アーサナをやる目的とは?

第一の句はアーサナの一般的な目的、すなわちアーサナとは安定と快適感をもたらすものである、ということを述べています。ここで言われている「安定」とは、たんなる姿勢の安定ではなく、心身全体の安定のことです。つまり心と身体の両方が安定して働かなければならず、それが快適感をもたらすのです。この句は、「アーサナは容易で安定したものである」と誤って訳されることがあり、そのような誤訳を根拠に、「簡単にでき、しかも安定して保持できるものならどんなアーサナでもかまわない」という人がいます。もしそうであれば、おそらく眠ることが最良のアーサナだということになってしまうでしょう。もっとも容易で安定している行為は眠りだからです。また、パタンジャリはここでは瞑想の座法のことだけしか考えておらず、どんな瞑想においても、倒れないようにして楽に心地よく座るだけでじゅうぶんである、ということを彼は言いたいのだ、と考える人もいます。もしそうだとすれば、パタンジャリは、すべての瞑想の座法に共通している大変重要な特徴をはっきりと示すべきでした。すなわち、胴体、頭、音をまっすぐにし、バランスよく保つことです。
しかし、パタンジャリはこれについては述べていません。そうでないことは、『ヨガ・スートラ』を初めて注解した偉大なヴィヤーサも認めています。すなわち、彼は複雑なものから「容易」なものまで十二のアーサナの例をあげており、そこには瞑想のためのものではないアーサナも含まれているのです。また、彼は第二の句についての注釈で、アーサナの目的は「身体の震え」すなわち身体の緊張リズムの阻害による内面的な不安定さを抑えることであると述べています。ヨガはこの「身体の震え」があらゆる「障害」にともなう、と考えているのです。この「身体の震え」が長期間続けば、すでに述べたように、異常に固定され硬直した「姿勢反応系」ができてしまいます。スヴァートマーラーマも『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』でこの句を解釈して、アーサナとは「心身の安定と健康、手足の軽快をもたらすもの」と定義しています。これはパタンジャリが、アーサナとは安定した快適なもの、と主張したのと同じです。また、その効果についても、しばしば引用される「アーサナによって不安定さを克服できる」という文と一致しています。